カボチャラダムス大王は、
カボチャの化身のようなお姿ですし、
描く世界もカボチャ三昧。

愛嬌たっぷりのトークで人を和ませてくれるのですが、
作品に対しては遠いところからその世界を眺めている、
作品の内にいるようで外にいる、そんな印象を受けるのです。
(実際に作品にもご自身が登場されています)


「どうしてカボチャなのですか?」と伺ってみました。

「カボチャは母性、命を育む子宮、地球ですからね」との答え。
象徴としてのカボチャ、世界に見立てたカボチャ、イメージの母体。
物体としてのカボチャに執着されているわけではないようなのです。


『トーナス・カボチャラダムスのゆかいな王国展』
(北九州市立美術館分館/2004年)図録にはこのように書かれておりました。
一部引用させていただきます。

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 かぼちゃは、僕らが生きている地球みたいです。
 かぼちゃは、お尻の大きな、乳房も大きな、お人好しで子だくさんのお母さんみたいです。
 かぼちゃは、私たちみんなが、そこで生れ、育てられ、
 生活をして、還っていく、自然という、おおきなおおきなお母さんです。
 世のなかが進みすぎて、人のこころに大きなガランドウができました。
 かぼちゃの力で、少しでも埋め戻せたら、良いのですが。
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作品をご覧いただくとわかりますが、
カボチャダラムス大王の作品には隙間や空白がほとんどありません。
「埋め戻す」という言葉にもあるように、それはそれは緻密に描き込まれています。
隅っこのわずかなスペースでさえ丁寧に描き込まれています。
表情豊かな人が日常を暮らしている様子がいきいきと。
空虚に感じられる社会へのアンチテーゼとも読めそうです。


作品をまじまじと鑑賞していると、
「お客さん、一緒にお茶しましょう」と
カボチャラダムス大王直々にティータイムにお誘いいただきました。

「昨年末の個展でヒョウタンの話をした者です」とお伝えしたら、
手をたたいてニヤリと笑い、
「ああ!あの変な人か!わかったわかった!」と歓迎してくれたのです。
じつは昨年末、ニューオータニ博多の画廊で『凡人浄土』という個展に
足を運んだときに、作品のなかにあるヒョウタンのことを話したので
おぼえてくださっていたのです。


「変な人やな、と思っていたんですよ」だなんて(笑)

それから、一気にうちとけて、ヒョウタンの話に花が咲きました。
大王の奥様(お妃)も話の輪に加わってのお茶会です。

私も、ついつい、口が軽くなり、
ヒョウタンが人類最古の栽培植物のひとつで、その用途は240もあること、
日本のくびれたヒョウタンは基本食用ではないこと(食べたら中毒になる)、
食用として売られているヒョウタンもあること、
世界各国、とくにアフリカでは生活容器として使用され、
縫うことができるので、修繕を専門とする人が市場にいることなど、
お話したところ、とても興味をもってくださいました。

すると、カボチャラダムス大王は、
おもむろにヒョウタン笛をどこからか取り出してくるではないですか。
そう、中国・雲南省の楽器「葫蘆絲(フルス)」です。
じつは、私も雲南省を旅した友人からお土産にいただいたものをもっていて、
瓢箪座に飾っています。

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(なんと!カボチャとヒョウタンのコラボレーションです♪)


そんなヒョウタン自慢をしていたら、大王はぽつり、
「…いやいやカボチャもすごいんだよ」とカボチャの凄さを語りはじめます。

「カボチャは食べるとおいしい。
原爆が投下されたあと、焼け野原になって食料がない時、
たまたま生っていたカボチャを皆で煮て食べたというエピソードがある。
そのときのシーンを思うと、カボチャってすごいと思うんです」と。

そうです、カボチャはすごい。ヒョウタンは基本食べられませんからね。
どちらかというとヒョウタンは器のほう。
カボチャをヒョウタンの器によそったら最強ですね!
などと共存を強調する私(かくいう私もカボチャ料理は大好きです)


それから、しばらくお話をしたのですが、
何度となく「変人、変人」と連呼されてしまいます。
「カボチャラダムス大王から、変人と呼ばれるなんて光栄です」と返します。


大王からお墨付きをいただいた私は、
「強力なライバルが現れた」とまでいわれる始末ですが、
それはリップサービスです。とてもとても足元にも及びません。


カボチャは世界。
人間味あふれる豊かな地球。母なる野菜。

一方、ヒョウタンは空洞でありますが、
やはり子宮や宇宙に見立てられるのです。

お互いに異質な部分はありつつも、
どこか通じる世界が宿っているように感じられます。
どちらもウリ科ですから。

おもいがけず、愉快な「カボチャVSヒョウタン」バトルとなった土曜の昼下がり。
ホクホク気分で「カボチャドキア国立美術館」をあとにしたのでした。