小学生の頃、よく聞かれる質問に
「大人になったら何になりたい?」というのがあります。
問われるたびに困っていました。
あえて答えるとしたら、「なんでも屋」だったから。

保母さんとか、ケーキ屋さんとか、看護婦さんとか、
特定の職業を答える友達につられて、
一回だけ「パン屋さん」などと言ってしまい、
少し悔やんだことをいまだに憶えています。

人形ごっこでお店を設定するとき
Aちゃんは「お菓子屋さん」、Bちゃんは「お花屋さん」、
でも私は「なんでも屋さん」だったのです。
なんだかよくわからないけど、そうとしか答えようがなかったから。

「なんでも屋」は何でもおまかせあれ、ってことですが、
電球の取り替えから解体まで、やれといわれたらやる、
というようなマルチな便利屋稼業ではありません。

あの頃イメージしていた「なんでも」とは、
その名のとおり、情報を集めて編む「編集」をさしていたと思うのです。
ですので、小学校の頃の夢は実現しております。
はい、編集屋さんです。

小学生の頃は、そもそも「編集」という言葉を知らなかったし、
そういう仕事があることすら明確に理解していませんでした。
それでも、紙を折って、切って、ホッチキスで止めてミニ本に仕立て、
文章と絵を書き込んで、色をぬり、タイトルをつけて完成。
学校に行く前にポケットに2、3冊しのばせておき、
友達に読ませたり、交換したりしていた。
これって、編集そのものです。

ちなみに、2、3冊というのは、同じ内容のミニ本を、
いちいち手書きで複数冊つくっていたんですね。友達にプレゼントするために。
本といっても、メモ紙を束ねたものにすぎませんが、
寝ることを忘れて没頭したものです。


小学5年の頃には、転校してきた才女・Mと仲よくなり、
卒業するまで交換日記ならぬ、交換漫画を続けました。

ジャポニカの自由帳や大学ノートにそれぞれの漫画を描き、
毎日見開き2ページずつ連載し、交換し合ったのです。
このやりとりは2年間、病気などで休まない限り続きました。

その頃、私が作ったキャラクターは、「弥生」と「善勇」(いまも描けるよ・笑)。
それぞれ、くの一と戦士という設定で、サブキャラとその相関図を作って、
毎日少しずつ、仲間とのドラマを通して友情とほのかな恋心を描きました。
Mとのあいだだけで大ヒット、大ブレークした秘密の漫画でした(笑)。
その頃は、高橋留美子の影響を多大に受けていた時期です。
もちろん、Mも独自の物語を日々連載してくれるのです。なつかしいなぁ。

小学校を卒業する頃には、交換ノートは段ボール2箱分ぐらいになっていましたね。
数年後、就職で家を出る時、厳重に封をして実家の押し入れの奥にしまい込んでおいたのに、
いつのまにか処分されておりました(泣)。
あのノートの中身、母親は見たのだろうか。勇気がなくていまだ聞けないでいます(笑)。


純白のジャポニカ自由帳は、ノートの中でも別格でした。
母親の買い物についていくと、必ずスーパーの文房具コーナーで、
ジャポニカの自由帳があるかどうかを確認していた。
思い切って2冊買ってみたり。少し高かったんですよね、自由帳。

清らかな白い紙に、一筆を入れる瞬間。
だれも踏み入れていない雪に、一歩足を踏み入れる感覚そのもの。
白い紙を机の上に広げ、まず手のひらでナデて(←イニシエーション)、書き込んでいく。

あの、わくわく、どきどきした感覚、最近かすんできてやしないだろうか。
最近、作業が「データ」のやりとりばかりになっているせいもあるのかもしれません。
ブログをはじめたのも、そうした「編集の原点」に立ち返るきっかけを
作りたかったためでもあります。


この「編集」という言葉もくせもので、
地域や受けとる人によってイメージする仕事が違うようなのです。

日本の出版社の9割以上が集中している東京では、
編集者というと、たいてい出版社で書籍や新聞、雑誌の編集をしている人。

でも、美容や飲食業界激戦区の福岡は、広告やフリーペーパーが大半を占めます。
なので、編集者というと、フリーペーパーのライターと思う人もいれば、
広告取りをふくめての営業ライター的な仕事を思い浮かべる人が多いようです。

福岡で、東京でいうところの編集者に該当するのは、
地元に数社ほどしかない出版社の編集者なのでしょう。

いまだに東京一極集中の日本、「編集」という職業もひとくくりできないのです。

もっといえば「エディター」などと言ってしまうと、「なにそれ感」が倍増します。
私は書籍がっつりではないので(書籍もしますよ)、職業を「編集者」などといってしまうと、
どうにも落ち着かないので、職業を書くときは、
少しぼかすように「エディター」と書くようにしていますが、
じつは、全然しっくりきておりません。

だから、「瓢箪座」という摩訶不思議な屋号にしたのだろうと、改めて思う次第です。
「劇団ですか?」とか尋ねられますが、「そのようなものです」とお茶を濁すようにしています。
この際、「編集者/エディター」に代わるネーミングをつけちゃおうと考えています。


世間で用いられる「編集」という言葉と実態に
ズレと違和感を明確に感じ取るようになったのも、
イシス編集学校に入門してからのこと。

開校した2000年から15年間、校長の松岡正剛さんのお話をきくたびに、
それまでの「編集」のイメージが一気に広がり、
これまでいかにちっぽけな世界に捉われていたのかと、思い知らされたからです。

なんだか長くなってしまったので、次にまわしますが、
昨年末、イシス編集学校15周年を要約した『インタースコア 共読する方法の学校』
春秋社から刊行されました。530ページという厚さでありながら、
とても読みやすく編集されているので、ぜひ手に取ってみてください。

戦後立ち上がった伝説の学校・鎌倉アカデミアを彷彿とさせるような、
いやいや、それを遥かに越えた革新的な方法と物語が、
昼夜問わずに繰り広げられている事実を目の当たりにするでしょう。

と、予告をして、今日はここまでーー


インタースコア

『インタースコア 共読する方法の学校』P490に寄稿しておりますが、
こちらも「エディター」として登場しております。

(つづく)